2009年3月30日月曜日

はたちになりました


 二十歳になった。これで成人になったわけで、数々の責任がのしかかってくることになる。でもそんなことは気にせずに精一杯前向きに楽しんでいこうと思う。人生一度きりしかないのだ。どうせなら楽しく、かつアグレッシブに生きていきたい。
 唐突に死と時間の概念が身近に感じられるようになった。悟るってああいう感覚をいうのだろうか。今まで生きた時間の重さと、これから潜り抜けていく時間のスピードを感じて、その後に普遍的な死が待ち受けていることを実感を持って感じたのである。
 一瞬の中に普遍的な瞬間がある。人のアクションの中にも普遍的な瞬間がある。その瞬間を捉えて、人の先や光景の先にある普遍的なものを僕は写真を通して表現していきたい。

2009年3月24日火曜日

Lovin' Life


なんだかんだ、幸せなのはいいことだし、心が満たされている状態なら、世界はすべてに微笑みかけると思う。
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2009年3月23日月曜日

打算によって無駄にあがくのはもうやめにしよう


 つくづく、僕はプロにはなれない人間なのかもしれない。何かを狙うのにはまだまだ修行がたりなくて、僕はあくまでもその瞬間を切り取っているだけに過ぎない。
v時間には普遍性を持つ瞬間がある。ただ僕はそれを嗅ぎ取って、シャッターを切って、その瞬間を大切につつみこむだけ。つまりそこには技術だとか、思想だとか、そういうものは存在しなくて、自分のワクワク感だとか直感に忠実に体を動かしているに過ぎない。意味づけをするのはその後で、何かを伝えるための単語やパラグラフとしての写真をアーカイブ化し、必要に応じて意味を付与して取り出している。それはアマチュアの趣味どまりのやり方だろう。

まだまだ先が長い。
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2009年3月18日水曜日

彼の目線と僕の目線


一人一人によって、目線は全然違うから、同じものを見ているようでいて、まったく違うものを見ていることになる。僕の目線はまだまだ子供の目線で、よく言ってもまだ学生の目線だ。それはもちろん、いいことなのかもしれないけれど、たぶんこれから研究などをしていく上で必要なのは複数の目線を理解することなんだと思う。映画のプロデューサーにはなれないだろうけれど、常に何かを仕掛けていく仕掛け人になりたいと最近は願望がシフトしてきた。どちらにせよ、多面的にものを見て、いかに多くの別の目線を想像し、理解するかということがより大事になっていくと痛感している。

とりあえず、僕は年上の人と話すのが好きだ。考えが深かったり、経験に裏打ちされた言葉を聴くのがとても好きで、いい刺激になる。昨日も素敵な一日になったけれど、今日もそうなることを期待している。
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2009年3月9日月曜日

フランケンシュタイン

あごの下を20針以上縫った。怪我自体よりも、麻酔が痛かった。

2009年3月7日土曜日

若い芸術家


やっぱりピカソの作品の中ではダントツでこの作品と、青の世界が好きだ。
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2009年3月6日金曜日

セルフポートレート1


 人のこと撮影したりとか、グダグダ言う前に、自分に向き合うことが必要だと思った。自分にすら向き合わないで、何ができるというのだろう。というわけで、とりあえず向き合おうとしてみたけど、やっぱり自分のことは反吐が出るくらいに嫌いだ。やることなすこと中途半端で、変に頑固。単純バカで、ドアホ。鈍感で、打たれ弱い。変に負けず嫌いで、現実はほどほどにしか見つめない。バックドアはどこかに用意してるし、好奇心と興味に対してはお手上げ。簡単に図に乗る。嫌い嫌い言ってるくせに、なかなか嫌いなところは直らない。

 あぁ、イライラする。

 こんな僕がどうにかこうにかやってこれたのは、周囲に恵まれたからであって、自分の実力ではないと思う。

 とりあえず嫌いなところから見つめてみた。現実の天井部分をノックする(こんこん!)
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