2008年9月21日日曜日

photographers @ 渋谷


「旅するピース(仮)@渋谷109」

 渋谷にて、僕の所属するインカレサークル、フォトグラファーズの初会合だった。なかなかおもしろいものが作れそうでだいぶわくわくしている。同時に、近々渋谷のスクランブル交差点を撮影したかったので、軽くロケハンしていた。いい感じに撮影できそうな場所を見つけたし、今度はビデオを持っていこう。
 舞台を渋谷から表参道、原宿あたりに設定して何か撮れないものだろうか。シナリオを早急に考える必要がある。でも、とりあえず今進行中のプロジェクトをしっかり進めていかなければ。
 話が変わるが、来学期は無理やりにでも時間を作って、たくさん旅をしたい。ちょっとしたやつでもいいから。「旅するピース」なんて適当な名前だけど、シリーズにしてみたら、個人的にだいぶ好きだった。どうでもいいが、渋谷のカオスと、マクドナルドで喫煙しているヘビースモーカーたちはだいぶ苦手だ。
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ミニチュアダックス


 本格的に犬を飼いたいと思う。それは仲間意識からと、どこか犬に癒しを求めているからかもしれない。街で犬を見かけると、無性に一緒に遊びたくなって、しばらくかまってしまうのはなぜだろう。
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ゴミ


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H2O@cafeと先輩


 今日は久しぶりに敬愛している先輩に会って、いつものようにいろいろと話していた。いろんな話をしたのだけれど、相変わらず「敵わないな」と思ってしまう自分がいる。頭がいいとか、大人だとか簡単に片付けることは可能だけれど、そういう言葉じゃ僕が感じている本質をあらわすことはできないだろうし、かといって、どういえば感じている本質を表現できるのか、と問われてもわからないとしかいいようがない。無理やり一言で表してしまうなら、「足元がしっかり見えて、思考できる人」とでもいってしまえばいいのだろうか。少なくとも、いつも足元がぐらつきながらも、上へ上へと進もうとする僕に比べて、僕がなりたいスタンスなのだ。だからきっと尊敬すると同時に、「ああ、やっぱ敵わないな」と思ってしまうのかもしれない。
 なんだかんだ僕は友人や、周囲の人に対して「敵わないな」と思ってしまうことが多い。人の欠点以上に、その人にすごいなと感じてしまう点に(長所?)目がつく。きれいごと、といわれてしまえばそれまでだけれども、少なくとも僕が友人だと思っている人たち、一緒にいたいなと思っている人たちのことは、僕は尊敬している。つまり、人が1人でできることはあまりにも限られている。だから、僕ができないことを、たやすくやってしまう人たちを見ると、僕にはないものを持っている人を見ると、純粋にすごいと思ってしまうのだ。もちろん、僕にしかできないものもあるかもしれないけれど、灯台元暗しというように、自分では自分が何ができるのかというようなことは、よくわからない。たぶん、僕以上に、僕の周りの人が僕のことをわかっているのだろうし、僕は僕で、周囲の人をその人以上に理解している部分があるのかもしれない。あくまでも根拠はないけれども。
 人は誰しも自分を特別視しようとする傾向があるようだが、結局のところ人は人でしかありえないし、神の創造物だろうが、生態系の頂点だとかいろいろ呼び方はあるけれども、そんなことはどうでもいいのだと思う。人は人であり、不完全な存在だということを認める必要がある。それはつまり自分自身が不完全だと認めることで、無知の知がなければ、進歩はありえないということだったりする。当たり前のことで、何をいまさらといわれてしまうかもしれないが。
 足元を固めている先輩を見ると、どうしてもこんなことを考えてしまう。とりあえず、酸素のように、生きる上での前提となる信念というか、哲学というか、そういうものをもっと求めていかないとな。青臭いことかもしれないけれども、そういう泥臭かったり恥ずかしかったりするものを馬鹿にして、避けたところで、どうせ後々同じような問題意識に帰結するはずだ。帰結しなかったとしたら、自分で考えないで、そういうものの答えを他の人の受け売りで、オウムみたいに繰り返すんじゃないのかと思う。
 哲学ということで思い出したが、作品と呼ばれるすべてのものの前提として、哲学、もしくは世界観というものが必要不可欠だと思う。それはつまり、主張だとか、主題だとか、そう言い換えてもいい。それがないものは、時間つぶしの商品にしか過ぎず、僕の価値観から言えば、作品とはいえないのではないかと思ってしまう。うまいたとえがすぐに見つからないけれども、たとえばプロの写真家とアマチュア写真家との違いは、技術云々というより哲学や主題なのではないかと僕は思う。ただ綺麗な写真だったら、それなりにいいカメラを買ったり、絶景ポイントにいったりすれば、今の時代簡単に撮る事ができる。だって、それだけそもそもの道具の技術力が上がっているのだから。似たような写真があふれかえっているのも、そういうことなのかもしれない。だからそこから違いを生み出すのは哲学であり、それはつまりその人の世界観なのであり、さらにもっと具体的な言葉でいうなら、その人の持ち味につながるのだ。写真のボケかたに意味を見出すのも、光の加減に意味を見出すのも、視点の違いに意味を見出すのも、意識的か無意識の違いがあるとはいえ、それは哲学が存在していると僕は思うのだ。

 話が脱線したが、つまり結局のところ、今日、僕はとても満足だったということだ。先輩ありがとうございました。
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