2008年9月4日木曜日

振り返ってみると


そこには影しかなかった。
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関係の喪失


 僕は何かを失うということに全く慣れていない。それはある意味で今まで幸運だったのかもしれまないけれど、何かを、特に今回の場合でいえば、関係性を失うことにかけては、今、そしてこの先どうしていいのかわからないというのが率直なところである。関係を言うのはとても曖昧なもので、時間や出来事次第で刻々と変わっていくものだけど、それ自体を失うということはある意味で、自分自身を失うということに似ているのかもしれない。それほどまでに人との関係、またはものとの関係というのものは僕の中でウェイトを占めているものだったりする。頭ではわかっているだけではダメだった。そんな当たり前のことを痛感した午前中。

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心の空間性


 心は空間性を持っている。窓を開けて、風を受けて、光を感じれば、ちょっと自由になれるのかもしれない。自分自身で自分自身を縛っているものから。偏見とか、こだわりとか。なんてね。
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グレースケール


 最近寝てばかりいる。一日の睡眠時間が16時間とかになっていそうなくらい寝ている。理由は不貞寝と風邪。よくいく耳鼻科などで、いつものように先生に「体弱いよねー、強そうなんだけどな」なんて、ほぼ毎回言われるほど、実は体が弱い。つまり、ちょっとしたことで、故障しやすい。ある意味デリケート、ある意味ちゃちいつくり。起きてる間はちょっと用事を済ませたりして、映画見たり、まだ読んでなかった本を読んだりする。満足できるくらいまで作業したりすると、またうとうとしてきて、いつの間にか寝ている。寝ている間は決まっていろんな夢を見る。最近会っていない人が出てくることが多い。それか取りとめのない映像と概念と、ニュースの羅列。フロイトさんに診断して欲しいところだけれど、別にどうでもいいと思ってしまう自分がいる。整理できてるし、別にそこにまで意味を求めるつもりはないから。そんな廃人のような、でも個人的にはとても満足している隠居生活のような毎日なのだけれども、ふとしたときに寂しさを感じる。それは視線の先の色が色ではなく、光が光ではなく、何か曖昧な光景が広がっているときだったり、風が周囲を流れたときに「ああ、そういや一人なのか」なんて思ってしまうときであったり。グレースケールの写真にはたいてい奥行きだか、深みがあるのだけれど、ふとしたときに見えてしまう世界はあくまでも2次元の奥行きのない平べったい、グレーの世界。なんなんだ、これは。

 どうでもいいか。どうでもいいね。

 何かが自分自身を自浄するには反省が必要で、心から反省のないところに(反省が見出せないところに)、自浄作用は生まれない。だとしたら、自浄作用がないくせに、性質の悪い使命感をもって、周囲をそれらの言う「浄化」、つまり社会の自浄作用を促そうとするものに対してどう振舞えばいいのだろうか。それ自体を消そうとするのか、反省させようとするのか。それがもし個人ならば、反省させたり、考え直すことをさせることができるかもしれないが、それが組織になったとき、どうすればよいのかわからない。最近ちょこちょこ考えているのだけれども。そんなものが社会を自浄させるというのはいろんな意味で間違いで、それは浄化ではなく、ただ周囲を自分の好みに染めることであり、それは浄化というよりは汚染でしかない。精神的な汚染を取り除くのは大変難しいし、そもそも汚染に気がつく人が何人いるのかすらわからない。第一、僕の言っていることが正しいなんていう根拠はどこにもないし、僕自身が汚染されていて、おかしいことをこうして書いているのかもしれない。つまり何が言いたいのかといえば、客観的な事実を元にして、自分のルールにしたがって思考していけば行くほど、嫌な気分になっていき、どうもおかしいと感じて気分が悪くなってくるということだ。でもそう思っている人は少ないのかもしれないし、そう思っている人がたくさんいたとしても、周囲を変えるのは難しい。相手を染めるということでしか、自分のテリトリーを増やせないならば、僕は何にも染まらない黒でありたいと思った。
 
 どうでもいいか。どうでもいいね。

「灰色と砂の世界」
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