2008年7月3日木曜日

メランコリック


※この物語はフィクションで今執筆している台本(一人芝居)から抜粋したものです。
普段現実ではありえないような、こんな変な話ばかり考えています。
ダメダメです。狂っているかもしれないとは自覚しています。
暇な方は読んでみてください。感想が聞けると狂喜乱舞します。

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その日、僕は死のうと思った。
なんの前触れもなく、まるでそろそろ寝るかとでも思うかのように。
ただ終わりにしようと思った。すべての面倒なことに背を向けることで。
すべてのことから逃げることで、終わりにしたかった。
ウィスキーと、大量に服用した薬、そしてリストカット。
これで全部終わりになると思った。でも結果を言ってしまえば、
そんなことにはならなかった。

人がなぜ生きているのかとか、なぜ世界が存在するのか
なんていう答えを探すことはかの有名な宗教の数々に任せることにするのが
基本的なスタイルだけれども
でも、思うんだ。最終的にみんな死ぬのに、
何をじたばたしているのだろうかと。
死後の世界がどうだとか、この教えを信じていれば幸せになれるとか
結局のところどうでもいい。
どうせいつかは死ぬんだから。
だれかが歌っていたように、そんなことは死ぬ直前にでも考えればいいし、
むしろそんなことはその場になってから考えればいい。
というか、そんなこと考えている暇があったら、
今目の前にいる人を救おうとするべきではないのだろうか。

たいていの宗教でも、教育でも道徳を大切にする。
つまりは「自分がしてほしいことを相手にもしてあげなさい」だとか
「自分がされて嫌なことは人にしてはいけません」だとかそういうこと。
でも結局のところ、それは戯言でしかないなんてことは
成長していくにつれてなんとなく自覚していく。
つまり、そんなことは建前でしかなくて、
そんなきれいごとを言っている大人がたいていの場合
率先してだめなことをするんだと。
そして、ばれたら責任逃れをしようとし、
ばれなければ味をしめてそのまま続けていくんだと。
そんな先人の様子をみて、絶望しない子供がいるだろうか。
たぶん、そんな様子を見て、子供はがっかりし、
絶望し、そして悟るんだと思う。
「結局のところ、ヒーローなんていないんだ」って。
そこからゆがんでいく子供と、それでも愚直に、
まっすぐ生きようとする子供の二つに分かれる。
しかし皮肉なもので、まっすぐ生きようとすればするほど、歪められる。
たいていの力を持つゆがんだ先人によって作られた世界なんだから
ゆがんでいる人に都合がいいようにできているわけなのだから。
まっすぐ生きようとするものが本当は正しいってわかっているからこそ、
“彼ら”はそんな人たちを怖がる。
利用しようとする。うらやむ。憎む。
つまり僕が何を言いたいのかといえば、簡単だ。
世界にがっかりしたんだ。絶望したんだ。あきれたんだ。
だからこそ、早くこのくだらない世界を終わりにしようと思ったんだ。
そうだよ、そうだったんだ。
さっさと終わりにすることで、どんなに言葉を尽くして伝えるよりも
声高に伝えたかった。
「君たちが大事に思っている、こんなくだらない醜い世界なんかに
興味はないんだ。一緒にするな」って。

でも最初に言った通り、できなかったんだ。
見切りをつけたつもりだったけど、できていなかった。
こんなくだらない人間である僕を引き止める人たちがいた。
そんなことやめてといってくれる人たちがいた。
あえなくなると寂しいといってくれる人たちがいたんだ。
限りなくくだらない世界だけど、そんな人たちがいるなら
大切にしたいと思った。
そう、残ることを選んでしまった。
醜いなりに、くだらないわりに、
改善できるかもしれないと思ってしまった。
何ができるかわからないけれどやってみようと思った。
くだらないことだとはわかっている。
でも、どうせいつかは死ぬんだ。
生きてる間くらい誰かの役に立ちたいじゃないか。
そう、できれば、世界を僕はできる限り、塗り替えたいと思ったんだ。
波を起こす、石になりたいって思ってしまったんだ。
それにしても、やはり世界はどうしようもなくくだらなくて、
醜くて、美しくて、愛しいのかもしれない。
なんとなく、この矛盾が憂鬱だ。
何より、どうやってやっていけばいいのかわからなくて憂鬱だ。
とりあえず憂鬱なりに、あがいてみようと思う。
世界が終わる夜はもう少し先らしい。

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ここまで読んだあなたは偉い。
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