2008年9月6日土曜日

The Brave One



 ニューヨークでラジオパーソナリティをしているエリカ・ベインはデイビッドとの婚約を目前に控えていた。ある夜2人で犬の散歩をしているところを3人の暴漢に襲われ、デイビッドは殺され自身も瀕死の重傷を負ってしまう。回復後、警察の捜査に不満を覚えたエリカは、自分たちを襲った犯人を捜し出そうとする。エリカは取材を通して刑事のショーン・マーサーと親交を深めるが…。

 ジョディ・フォスターが主演のクライムアクション。サスペンスというよりはクライムアクションだと思う。映画のキャッチコピーは「あなたは彼女の選択が許せますか?」ジョディ・フォスターの演技は相変わらずすばらしい。葛藤に苦しむ様子が特にすごい。伊坂幸太郎の「重力ピエロ」の春ならきっと「青春映画」と評価するだろうね。僕は彼女の選択は当然のように思ってしまう。同じ状況に僕が陥ったらきっと、同じ選択をすると思う。良心と倫理と、個人的な恨みのバランスってとても難しいよね。9.11の後、ビンラディンに対してすごく恨みをもって、対テロ戦争?いいじゃん、やれよ。なんて無責任に思ってたけど、そのために犠牲になった人たちのことを思うと、本当によかったのか迷ってしまう。
 もし、みんながすべてを許すほどの大きな器なら、そもそも争いはないのかもしれないし、仮にあったとしてもそこで負の連鎖はとまるのかもしれない。でも残念なことに僕らはそんなに器が大きいわけじゃないからどこかで止められるように考えないとね。

 いい映画です。

The Dark Knight




 ブルース・ウェイン(バットマン)は、ゴードン警部補とともに、ゴッサムシティに蔓延るマフィアとドラッグなどの犯罪を一掃しようとしていた。「光の騎士」と呼ばれ、正義の検事として志が同じハービー・デントも協力し、ゴッサムの建て直しは成功するかのように見えた。だが、そんなときに素性不明のジョーカーと呼ばれる男が徐々に目立ち始める。もともと泥棒であった彼は、混沌を好み、殺人や爆破などのテロ行為によって、バットマンを狙い始めるのだが・・・。
ウィキペディアのストーリーはちょっとネタばれが多いと思います。うん。
 コミックス版シリーズの連作『バットマン:ダークナイト・リターンズ』から継承されていたシリアスな作風。監督のクリストファー・ノーランや主演のクリスチャン・ベールら前作「バットマン ビギングス」の主要キャストはほぼ続投。レイチェル役のみケイティ・ホームズからマギー・ギレンホールへと変更になっている。 今作の悪役は、原作シリーズで最凶の敵と言われるジョーカーともう一人。ジョーカーを演じたヒース・レジャーは2008年1月22日に本作の完成を待たずに急逝した。今作は彼と撮影中に亡くなった特殊効果技師のコンウェイ・ウィックリフ(Conway Wickliffe)に捧げられている。映画の冒頭シーンを含む6つのシーンではIMAX用の大型IMAXカメラで撮影された。これは劇映画では初の使用となる。音楽はテーマ曲といえるような印象的な旋律を排したシンプルなものとなった。オープニングで使われた9分14秒の曲には、一つのテンポと2つの音で構成されている。作曲を担当したのは、前作に引き続きハンス・ジマーとジェームズ・ニュートン・ハワード。 前作からさらに向上した監督・脚本力、ダークな世界観、リアルな町並みとダイナミックな映像技術、急逝したヒース・レジャーを始めとする実力派俳優たちの演技により観客、批評家達からアメコミの域を越えたと賞賛され、近年稀に見る高評価を獲得している。

 とにかく世界観の完成度が半端ないです。前作の段階ですごく完成度高いなぁとは感じでいましたが、今回のはそれを軽く超えますね。世界観の完成度が高いだけに、リアリティがすばらしいことになっています。ダークすぎるとか、残酷すぎるって評判もあったけれども、現実ってこんなものでしょ。というのが率直な意見だったりします。 この映画はヒースレジャー演ずる「ジョーカー」のための映画だといっても過言じゃありません。というか、バットマンシリーズってヴィラン(悪役)の色が出れば出るほど、生き生きしてくるんですよね。そのヴィランのなかでもジョーカーは次元が違うんですよ。しかも今回のジョーカーは前にジャック・ニコルソンが演じた、どっちかっていうとコミカルなジョーカーとは違って、狂ってることを自覚してるんだけど、それでも自分の欲望とか狂気に忠実で、ダークな、でもユーモアのセンスは忘れてない、そんなジョーカーを見事に演じきったんですよね。かなり魅力的なキャラクターになっています。僕は完全にはまりました。「Why so serious?」とかすばらしいね。たぶんこの先、ことあるたびに引用するとおもいます。それくらい好き。ていうかむしろハロウィーンにはジョーカーの仮装したいくらいすき。話し方もまねしてますし、最近。うん。ジョーカーすばらしい。ヒースレジャーがなくなってしまったので、彼のジョーカーがもう見れないのは残念ですが、映画史に残るすばらしい作品になったと思います。映画史といえば、興行記録を塗り替えたりなどなど、いろいろやらかしてくれています。うらやましい!
 僕はすでに劇場にて3回見ました。とてもオススメな作品です。

自民党総裁選挙

結局7人が総選挙に出馬の意欲を見せていますね。

推薦人集めて、誰が出るかはわかりませんが(苦笑

個人的には麻生さん、石破さん、山本さんを応援してます。

あとの人たちは嫌ー。特に小池さんは絶対に嫌。与謝野さんも嫌だけど。

というかね、いい加減世代交代した方がいいと思うんですよ。政治の世界って。

というわけで若い人がんばれ!

映画をたくさん見ているので、いろいろ記事書きますね。

2008年9月5日金曜日

分かれ道


 いつだって、人生は細分化されている。進む道が変わってしまったのなら仕方ない。そこで「あでゅー」と軽く声をかけて自分の行きたい方向に進むしかないのだ。

 うまが合う人と出会うのはなんだかんだいって、すばらしいものである。思考パターンや趣味趣向、信念が限りなく近い相棒を見つけることができるとその後の活動に大きな影響をもたらす。1+1=2どころではなく、1*1=∞なのである。作りたいものがある。表現したいものがある。一緒にやりたい仲間がいる。それ以上何を望むというのか?

そんな僕は今日からまた元気です。
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2008年9月4日木曜日

振り返ってみると


そこには影しかなかった。
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関係の喪失


 僕は何かを失うということに全く慣れていない。それはある意味で今まで幸運だったのかもしれまないけれど、何かを、特に今回の場合でいえば、関係性を失うことにかけては、今、そしてこの先どうしていいのかわからないというのが率直なところである。関係を言うのはとても曖昧なもので、時間や出来事次第で刻々と変わっていくものだけど、それ自体を失うということはある意味で、自分自身を失うということに似ているのかもしれない。それほどまでに人との関係、またはものとの関係というのものは僕の中でウェイトを占めているものだったりする。頭ではわかっているだけではダメだった。そんな当たり前のことを痛感した午前中。

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心の空間性


 心は空間性を持っている。窓を開けて、風を受けて、光を感じれば、ちょっと自由になれるのかもしれない。自分自身で自分自身を縛っているものから。偏見とか、こだわりとか。なんてね。
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グレースケール


 最近寝てばかりいる。一日の睡眠時間が16時間とかになっていそうなくらい寝ている。理由は不貞寝と風邪。よくいく耳鼻科などで、いつものように先生に「体弱いよねー、強そうなんだけどな」なんて、ほぼ毎回言われるほど、実は体が弱い。つまり、ちょっとしたことで、故障しやすい。ある意味デリケート、ある意味ちゃちいつくり。起きてる間はちょっと用事を済ませたりして、映画見たり、まだ読んでなかった本を読んだりする。満足できるくらいまで作業したりすると、またうとうとしてきて、いつの間にか寝ている。寝ている間は決まっていろんな夢を見る。最近会っていない人が出てくることが多い。それか取りとめのない映像と概念と、ニュースの羅列。フロイトさんに診断して欲しいところだけれど、別にどうでもいいと思ってしまう自分がいる。整理できてるし、別にそこにまで意味を求めるつもりはないから。そんな廃人のような、でも個人的にはとても満足している隠居生活のような毎日なのだけれども、ふとしたときに寂しさを感じる。それは視線の先の色が色ではなく、光が光ではなく、何か曖昧な光景が広がっているときだったり、風が周囲を流れたときに「ああ、そういや一人なのか」なんて思ってしまうときであったり。グレースケールの写真にはたいてい奥行きだか、深みがあるのだけれど、ふとしたときに見えてしまう世界はあくまでも2次元の奥行きのない平べったい、グレーの世界。なんなんだ、これは。

 どうでもいいか。どうでもいいね。

 何かが自分自身を自浄するには反省が必要で、心から反省のないところに(反省が見出せないところに)、自浄作用は生まれない。だとしたら、自浄作用がないくせに、性質の悪い使命感をもって、周囲をそれらの言う「浄化」、つまり社会の自浄作用を促そうとするものに対してどう振舞えばいいのだろうか。それ自体を消そうとするのか、反省させようとするのか。それがもし個人ならば、反省させたり、考え直すことをさせることができるかもしれないが、それが組織になったとき、どうすればよいのかわからない。最近ちょこちょこ考えているのだけれども。そんなものが社会を自浄させるというのはいろんな意味で間違いで、それは浄化ではなく、ただ周囲を自分の好みに染めることであり、それは浄化というよりは汚染でしかない。精神的な汚染を取り除くのは大変難しいし、そもそも汚染に気がつく人が何人いるのかすらわからない。第一、僕の言っていることが正しいなんていう根拠はどこにもないし、僕自身が汚染されていて、おかしいことをこうして書いているのかもしれない。つまり何が言いたいのかといえば、客観的な事実を元にして、自分のルールにしたがって思考していけば行くほど、嫌な気分になっていき、どうもおかしいと感じて気分が悪くなってくるということだ。でもそう思っている人は少ないのかもしれないし、そう思っている人がたくさんいたとしても、周囲を変えるのは難しい。相手を染めるということでしか、自分のテリトリーを増やせないならば、僕は何にも染まらない黒でありたいと思った。
 
 どうでもいいか。どうでもいいね。

「灰色と砂の世界」
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