ロシアがジョージア共和国へ侵攻したのをご存知だろうか。
8月8日(土)、平和の祭典であった北京オリンピックの開幕式であったこの日、皮肉にもロシアがジョージア共和国へ侵攻したとCNNが報道している。詳しいことはまだ不明だが、CNNによるとロシアの戦車多数が南オセティアの領域に侵攻しており、ジョージアではロシア機2機を撃墜し、それらの機は領域内を空爆していたと発表した。
北京オリンピックでは、ロシアの選手団とともに、ジョージアの選手団も開幕式に出席していました。さらにロシアのメドベージェフ大統領もアメリカのブッシュ大統領とともに出席していました。
産経の記事には「グルジア、南オセチアに開戦 露と本格戦争の懸念拡大 (2008.8.8 21:07)
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080808/erp0808082111009-n2.htm
【モスクワ=遠藤良介】世界各国の首脳が集う北京五輪の開催を目前に控えた8日、旧ソ連の親欧米国、グルジアが同国北部で事実上の独立状態にある親ロシア の分離派地域、南オセチア自治州に対して大規模な攻撃に乗り出した。同自治州では空爆を含む激しい戦闘で、多数の死傷者が出ている。プーチン露首相はこれ に対し、滞在先の北京で「報復」を宣言。同自治州の後ろ盾であるロシアも巻き込んだ大規模な戦争に拡大する懸念が出てきた。」とありました。
これはCNNの報道に先立つこと1時間25分。ほぼ同じ時間に同じ事件を扱っているのですが受ける印象は天地ほどの違いがある。もちろん、どちらをソースにするのかによって違いがでるに決まっているから仕方がないにしても真実はどうなのだろうか。ロシアの侵攻理由としては、11:10頃の情報で、南オセチアはロシアにとってシーレーン(ではなくパイプライン?)になる重要な場所との解説が入ったようです。
より詳しく情報収集をする必要がありますね。
どちらにしても、平和の祭典であるオリンピックを利用したこの攻撃はとても皮肉ですね。全面戦争及び、ゲリラ戦闘にならないことを祈ります。
誰か情報をもっていたら教えてください。
ちなみにジョージア(グルジア)について知らない人も多いと思うので、情報を書いておきます。
◎正式名称-グルジアSakartvelo/Georgia。
◎面積-6万9700km2。◎人口-545万人(1999)。
◎首都-トビリシTbilisi(132万人,1999)。
◎住民-グルジア人70.1%,アルメニア人8.1%,ロシア人6.3%,アゼルバイジャン人5.7%など。
◎宗教-グルジア正教,アルメニア正教,ロシア正教,イスラム(スンナ派)。
◎言語-グルジア語(公用語),ロシア語,アルメニア語。
◎通貨-ラリLari。
◎元首-大統領,サアカシビリMikhail Saakashvili(1967年生れ,2004年1月就任,任期5年)。
◎憲法-1995年8月制定。
◎国会-一院制(定員235,任期4年)。最近の選挙は2004年3月。
◎GDP-42億ドル(1999)。
◎1人当りGNP-620ドル(1999)。
◎農林・漁業就業者比率-22%(1997)。
◎平均寿命-男69歳,女76歳(1994)。
◎乳児死亡率-18‰(1995)。
◎識字率-99%(1989,15歳以上)。
カ フカス山脈南部の共和国。英語ではジョージアGeorgia。国土の約54%は標高1000m以上の山地で,北にカフカス山脈,南に小カフカス山脈が走 り,西は黒海に面している。気候は温暖多雨。高山には氷河がある。住民の7割がグルジア人で,アルメニア人,ロシア人,アゼルバイジャン人のほか,オセッ ト人3%,アブハジア人1.8%(1989)など。多民族構成と関連してソ連時代から北西部にアブハジア自治共和国,南西部にアジャリア自治共和国,中北 部に南オセチア自治州が置かれている。茶,レモン,ブドウ,タバコなどを産し,羊,牛,豚の畜産もある。マンガン,スズの鉱物資源に富み,トビリシを中心 に機械・化学・冶金工業が行われる。 古代から東西および南北交通の要地で,黒海沿岸のコルヒダ(コルキス)には古代ギリシアの植民市が建設された。グル ジア人は4世紀にキリスト教を受容し,5世紀にグルジアの教会は独立教会(グルジア正教会)となった。7世紀以後しばしばイスラム教徒に侵略された。 1801年東部がロシアに併合され,露土戦争後の1878年全土がロシア領となった。ロシア革命後の1921年ソビエト権力が樹立され,1922年ザカフ カス連邦に加盟してソ連邦結成に参加,1936年グルジアとして独自のソ連邦構成共和国となった。1990年主権宣言を採択し,1991年4月独立を宣言 した。この間,ペレストロイカ期の1989年ころからアブハジアの分離独立運動,南オセチアの自治共和国昇格要求から分離独立へ展開する運動が高揚して武 力衝突にいたった。グルジア政権のガムサフルディアからシェワルナゼへの移行(1992年),ロシア中央の介入という複雑な過程をへて,後者は1992年 6月,前者は1994年4月に一応の停戦合意をみた。2003年11月の議会選挙における不正を糾弾する野党の攻勢に対処できず,シェワルナゼ大統領は非 常事態を宣言し,同月末に辞任。2004年1月の大統領選挙で国民運動の指導者サアカシビリが選出された。→グルジア語
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