2008年12月15日月曜日

Lift


存在するだけで、誰かを傷つけることもある。

この事実は、村上春樹の作品だけじゃなくて、数多くの作家がそれぞれの表現で描いている事実だ。今まで信じてこなかったことだけど、今日そのことを痛感している。人は存在するだけで誰かを傷つけてしまうようだ。とはいっても、それは生まれつきのものじゃなくて、それまでの結果の積分でしかないのだけれども。つまり、僕はある特定の誰かにとって、ただの障害物ではなく、傷つける凶器になっているということ。僕の価値はプラスでも0でもなく、マイナスなのかもしれない。

村上春樹の「国境の南、太陽の西」という小説に次のような一説がある。あまりにも僕が言いたかったことを簡潔に述べているので、抜粋したい。

その経験から僕が学んだのは、たったひとつの事実でしかありえなかった。それは、僕という人間が究極的には悪をなし得る人間だったという事実だった。僕は誰かに対して悪をなそうと考えたようなことは一度もなかった。でも動機や思いがどうであれ、僕は必要に応じて身勝手になり、残酷になることができた。僕は本当に大事にしなくてはいけないはずの相手さえも、もっともらしい理由をつけて、とりかえしがつかないくらい決定的に傷つけてしまうことができる人間だった。-講談社文庫 村上春樹著「国境の南、太陽の西」-

最後には相手を傷つけてしまうのなら、最初からひとりでいる方がいいのかもしれない。ひとりで生きることはできない。でもだからといって、簡単に相手のエリアに飛び込み、そして自分のエリアを解放しておくのはとても危険だ。僕は弱いけど、できる限り、ひとりでいれるようにこれから慣れていく必要があるかもしれない。

「Lift」
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2008年12月10日水曜日

大人はわかってくれない


「大人はわかってくれない」という作品がとてもおもしろい。というより美しい。人がやっぱり好きで、もっと人を知りたいと思う。でも自分は嫌いだ。
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るらるら


先が見えなくてやけにもやってたけど、先生と話して、先が見えてきた。まずは大学院にいく必要が出てきた。
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2008年12月9日火曜日

ブルドッグ


「ちょっとなんなの、あなた。カメラなんて向けて!」
「いや素敵なカップルだなと思いまして」
「なら好きなだけ撮りなさい」

おもしろい人だ。
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隣にいたはずの僕

考えてみれば、記憶って変なものだ。エピソードは覚えてなくても、知識はあるし、読んだ本の内容も、お気に入りの映画の内容も(せりふまで!)よく覚えている。でも僕自身のエピソードはある時期、というより僕のしょっぱい青春時代のほとんどなんだけど、が思い出せない。うすっぺらな小説のようで、もっとたとえるなら喫茶店で隣に座っていたはずの友人がコーヒーの残り香だけ残してどこかにいってしまったような喪失感。ちょっと悲しい。でもいつまでも悲観していられないので、早速行動。前向きに前向きに。でもいったいどこに隠れちゃったんだい?
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2008年12月8日月曜日

自己同一性


特に思い出せなくなったからといって、アイデンティティーがなくなるというわけでもないらしい。興味深い。僕がおもいだせなくなった、つまり想起できなくなったのは、エピソード記憶というものらしい。だから別にドアだとかパソコンの使い方なんて忘れてないわけだ。中学高校時代、そして浪人自体と今年の前半の記憶があやふやというかぽっかり抜けてしまっているだけということになる。これがどういうことを意味しているのかはよく知らないんだけど、ま、思い出したくないということなら無理に検索する必要もないだろう、と無理やり自分を納得させることにする。いろいろなくしても僕は僕なんだから仕方ない。大事なのは過去じゃなくていまと、これからだもんね。
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悲しみの喪失


うつ病の症状の中に健忘というのが存在するのだが、どうやらそれが発現したらしい。部分健忘。つまり、記憶の一部分が消えてしまった、というよりは思い出せなくなったということだ。日誌によると二、三日前くらいにやらかしたあることが原因だと推測できるが、正直それもよくわからない。だって覚えていないのだもの。すべてを忘れたわけじゃなく、一部分のことが思い出せないだけ。具体的にいえば、中学生、高校生のころと、去年の浪人生活の1年間。ついでに今年の出来事もちらほらと。人は認識できたけど、思い出せない人も当然いるし、エピソードとかはまったくっていってもいいくらいに思い出せない。もしかしたらきっかけがあれば復旧できるのかもしれないけれども今は無理だと思う。映画や漫画のように「ここはどこ?僕はだれ?」なんてことにならなくて済んだけれども、やっぱり最初はきつかったです。真っ白だったし。記憶のブラックボックス化、何があったんだろ、思い出せないところに。 さよなら、また会う日まで。

ということで、話が通じないこともあるかもしれませんが、どうにかこうにか僕は生きています。学校の休学はたぶんしませんが、成人式およびその後の同窓会には出席しないと思います。何も思い出せなくて切なくなるだけだろうしね。以上報告終わり。悲しみの喪失
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