2008年12月9日火曜日

隣にいたはずの僕

考えてみれば、記憶って変なものだ。エピソードは覚えてなくても、知識はあるし、読んだ本の内容も、お気に入りの映画の内容も(せりふまで!)よく覚えている。でも僕自身のエピソードはある時期、というより僕のしょっぱい青春時代のほとんどなんだけど、が思い出せない。うすっぺらな小説のようで、もっとたとえるなら喫茶店で隣に座っていたはずの友人がコーヒーの残り香だけ残してどこかにいってしまったような喪失感。ちょっと悲しい。でもいつまでも悲観していられないので、早速行動。前向きに前向きに。でもいったいどこに隠れちゃったんだい?
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2008年12月8日月曜日

自己同一性


特に思い出せなくなったからといって、アイデンティティーがなくなるというわけでもないらしい。興味深い。僕がおもいだせなくなった、つまり想起できなくなったのは、エピソード記憶というものらしい。だから別にドアだとかパソコンの使い方なんて忘れてないわけだ。中学高校時代、そして浪人自体と今年の前半の記憶があやふやというかぽっかり抜けてしまっているだけということになる。これがどういうことを意味しているのかはよく知らないんだけど、ま、思い出したくないということなら無理に検索する必要もないだろう、と無理やり自分を納得させることにする。いろいろなくしても僕は僕なんだから仕方ない。大事なのは過去じゃなくていまと、これからだもんね。
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悲しみの喪失


うつ病の症状の中に健忘というのが存在するのだが、どうやらそれが発現したらしい。部分健忘。つまり、記憶の一部分が消えてしまった、というよりは思い出せなくなったということだ。日誌によると二、三日前くらいにやらかしたあることが原因だと推測できるが、正直それもよくわからない。だって覚えていないのだもの。すべてを忘れたわけじゃなく、一部分のことが思い出せないだけ。具体的にいえば、中学生、高校生のころと、去年の浪人生活の1年間。ついでに今年の出来事もちらほらと。人は認識できたけど、思い出せない人も当然いるし、エピソードとかはまったくっていってもいいくらいに思い出せない。もしかしたらきっかけがあれば復旧できるのかもしれないけれども今は無理だと思う。映画や漫画のように「ここはどこ?僕はだれ?」なんてことにならなくて済んだけれども、やっぱり最初はきつかったです。真っ白だったし。記憶のブラックボックス化、何があったんだろ、思い出せないところに。 さよなら、また会う日まで。

ということで、話が通じないこともあるかもしれませんが、どうにかこうにか僕は生きています。学校の休学はたぶんしませんが、成人式およびその後の同窓会には出席しないと思います。何も思い出せなくて切なくなるだけだろうしね。以上報告終わり。悲しみの喪失
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2008年12月6日土曜日

しかめっつら


まだまだ僕は子供だ。ほんとにこんなんで、大人になれるのだろうか。いや無理だな。最近、とても欝で気分がふさぎこんでいる。写真はよくほめてもらえるし、地元のカメラ屋で行っているフォトブックってサービスのサンプルとして僕が作ったアルバムをおいてもらえたりと割とがんばっているのだけれども。でもだめ。とてもとてもふさぎこんでいる。

たぶん今一番必要なのは、夢でも希望でもそんなんじゃなくて、僕を必要としてくれる具体的な誰かなんだろうな、なんてバカみたいにつぶやいてみた。アイリッシュコーヒーがおいしくて、その温かさが染みてくる。
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不貞寝サイクル


波が来ると、僕はもぐることにしている。心の底まで潜って、そこにある岩につかまって、波が去るのをただひたすらじっと待つ。何も感じないように、これ以上攻撃されないように。周りをシャットアウトして、僕は自分の世界に逃げこむ。昔からよくやっている身の守り方。逃げているのかもしれない。でもいやなものに向き合うのは、創作活動をしているときだけで十分だ。波が去ると、浮き上がって、ほっと一息をつく。少ししか見れない青空を目に焼き付ける。
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