2009年4月9日木曜日

サブカル系


サブカルって言われている分野はとても面白い。メジャーなものは、メジャーなものでのおもしろさもあるけれど、サブカルなどについては、新しい試みを追求する姿勢はとてもとても有意義なものだと思う。常にそういう姿勢でありたい。
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2009年4月7日火曜日

勝負のゆくえ


勝負の行方なんて、ドアを開けた瞬間にはもう決まっている。いかにそれまでに、勝負の時に回収できる伏線を張っておくかが重要なんだ。つまりいざという瞬間にはうじうじと足元ばかり見てないで、胸を張って前を向けるようにするべきなんだと思う。
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無知という罪


無知は罪である。そして、無知とは考えようとしない怠惰の中に生息する。考えることをやめるな。わからないなら、わからないなりに考えろ。考えることをやめた途端に、人は人じゃなくなってしまう。
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2009年4月5日日曜日

春の雪


さくらが満開だ。いい香りがする。心が落ち着く。ここから徐々にエンジンをあっためていかなければ。
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2009年4月4日土曜日

一番良い勝ち方、最低の勝ち方


何事も勝ちすぎるのは良くない。100:0の勝ち方は最低の勝ち方だ。一番いいのは、51:49で勝つこと。勝負に関しては、ほどほどがいい。

つまり、競争で最後にうしろからぶち抜いて、ぎりぎりで勝つのが一番かっこいいんだ。
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2009年4月1日水曜日

考えろ、さもなくば死ね


考えろ、さもなくば死ね

考えることを放棄した人間は、もはや人間とはいえないのではないのだろうか。それはただ単に誰かの手のひらの上で踊るパペットでしかない。考えることを放棄することは、僕にとっては、人間性を放棄し、何かの奴隷になることと同義である。たしかに考えずに、その場のノリで楽しむことだけを念頭に適当に行動すれば、それなりに楽しく、幸せな人生を送れるのかもしれない。でもそれは考えることを放棄して、誰かに踊らされた結果としてのご褒美と捉えることができると考える。自分の頭で考えて、周囲の意見だとか思想を鵜呑みにせずに、行動した結果がそれなら僕には否定する権利なんてない。ただし、それで環境のせいだとか、社会のせいだとか、責任転嫁している人間だとか、口先だけで行動が伴わないと腹立つ。環境は作れるわけだし、気に入る環境がないのならば、死ぬ気で作ってみればいいと思う。自分の居場所くらい、他人に作ってもらうことを期待しないで、1から自分で作れ。文句を言うならそれからいえ。そうでないなら自分以外のものにすべての責任を押し付けて、自分を正当化するなんてこと、恥ずかしくてできるわけがないんだ。
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カメラピープル


今ほしいのはレンジファインダーだ。一眼レフにおける速写性の低さがちょっとストレス。あのボケ味だとか、ファインダーの美しさに関しては大好きなんだけど。ただ、スナップ写真をやるときに、どうしてもレンジファインダーの速写性がとても魅力的で、とてもほしくなってしまう。

でも何よりも、写真を撮ることを楽しむべきなんだ。たぶん、機材とかは楽しむための手段の1つであって、目的は楽しく、かつ自分で満足できる作品を作り出すことであることを履き違えないようにやっていこう。
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2009年3月30日月曜日

はたちになりました


 二十歳になった。これで成人になったわけで、数々の責任がのしかかってくることになる。でもそんなことは気にせずに精一杯前向きに楽しんでいこうと思う。人生一度きりしかないのだ。どうせなら楽しく、かつアグレッシブに生きていきたい。
 唐突に死と時間の概念が身近に感じられるようになった。悟るってああいう感覚をいうのだろうか。今まで生きた時間の重さと、これから潜り抜けていく時間のスピードを感じて、その後に普遍的な死が待ち受けていることを実感を持って感じたのである。
 一瞬の中に普遍的な瞬間がある。人のアクションの中にも普遍的な瞬間がある。その瞬間を捉えて、人の先や光景の先にある普遍的なものを僕は写真を通して表現していきたい。